社員が成果を出したとき、「さすが、能力が高いね」「やっぱりセンスがあるね」と褒めていないでしょうか。反対に、成果が出なかった社員には「結果は出なかったけれど、頑張ったから大丈夫」と声をかけることもあります。
どちらも、社員を認めたいという温かな気持ちから生まれる言葉です。しかし、人材育成において大切なのは、能力か努力のどちらか一方を褒めることではありません。本人が何を考え、どのような方法を選び、何を改善した結果、その成果が生まれたのかを具体的に承認することです。
能力だけを褒めると、評価を守るために難しい仕事を避ける可能性があります。一方、努力だけを無条件に褒めると、効果のない方法を続けることまで肯定してしまいます。経営者やリーダーに必要なのは、「あなたには可能性がある」と信じながら、成長につながったプロセスを正確に伝えることです。
能力を褒めるのか、努力を褒めるのか?
結論からいえば、能力を認めながら、努力、戦略、改善、支援を求めた行動など、成長につながるプロセスを具体的に褒めることが効果的です。
能力をまったく認めてはいけないわけではありません。「あなたの説明力は、お客様に安心を与えている」と伝えることは、本人が自分の強みを知る助けになります。ただし、「あなたは頭がいい」「生まれつき営業センスがある」と、その人自身に固定的なラベルを貼る褒め方には注意が必要です。
本人が「優秀な人」と評価されることを守ろうとすると、失敗によって能力の低さが露呈しそうな仕事を避ける場合があります。反対に、「どの行動が成果につながったのか」を伝えれば、本人は次の仕事で再現すべきことを理解できます。
褒める目的は気分を良くすることだけではありません。自分の成長を生み出した行動を本人が理解し、次の挑戦へ進めるようにすることです。
『やればできる!の研究』が示す2つのマインドセット
スタンフォード大学の心理学者キャロル・S・デュエック氏は、著書『マインドセット「やればできる!」の研究』などを通して、人の能力に対する捉え方を「固定マインドセット」と「成長マインドセット」に分けて説明しています。
固定マインドセットとは、知性や才能は生まれつき決まっており、大きくは変わらないと考える傾向です。この考えが強いと、失敗を「能力がない証拠」と捉え、難しい課題や他者からの助言を避けやすくなる場合があります。
成長マインドセットとは、能力は適切な努力、戦略の見直し、学習、他者からの支援によって伸ばせると考える傾向です。すべての人が同じ能力へ到達するという意味ではありません。現在の能力だけで未来の可能性を決めず、成長できる余地に目を向ける考え方です。
デュエック氏は、その要旨として、能力や才能は成功を保証する完成品ではなく、学習と成長の出発点だと説明しています。マインドセット研究には対象や環境による違いもあり、言葉を一度変えるだけですべての人が成長するわけではありません。それでも、リーダーの評価や組織の環境が、社員の挑戦への向き合い方に影響するという視点は、人材育成において重要です。
「頭がいい」と褒められた人は、なぜ挑戦を避けるのか
デュエック氏らの研究では、知性や才能そのものを褒められた子どもは、その評価を守るために難しい課題を避けやすくなる傾向が示されました。失敗すると「自分は賢くない」と思われるかもしれないため、学びの多い難題よりも、正解できる安全な課題を選びやすくなったのです。
一方、努力、戦略、集中、粘り強さ、改善などのプロセスを認められた子どもは、難しい課題に挑戦しやすく、困難に直面しても学習を続ける傾向が報告されています。Stanford Report
これは子どもだけの話ではありません。職場で「仕事ができる人」という評価を受け続けた社員が、失敗を恐れて新しい役割を断ることがあります。幹部が分からないことを質問できず、知っているふりをする背景にも、「無能だと思われたくない」という心理が隠れている場合があります。
能力への評価が本人の誇りになる一方で、守らなければならない看板になってしまうことがある。経営者やリーダーは、この両面を理解する必要があります。
努力を褒めればよい、という単純な話ではない
成長マインドセットは、結果が出なくても「頑張ったね」と褒め続ける考え方ではありません。努力しているように見えても、同じ方法を繰り返すだけでは成長につながらないことがあります。
デュエック氏が重視しているのは、努力だけでなく、戦略、集中、粘り強さ、改善、必要な支援を求める行動などを含む「プロセス」です。また、十分な準備と合理的な判断をしたうえでの失敗と、準備不足や連携不足による避けられた失敗は、分けて考える必要があります。
たとえば、目標を達成できなかった社員に「頑張ったから問題ない」と伝えるだけでは、何を続け、何を変えるべきかが分かりません。「お客様の反応を記録し、途中で提案方法を変えた点は良かった。次は最初のヒアリングを改善しよう」と伝えれば、承認と指導を両立できます。
褒めることと、改善を求めることは対立しません。良かった行動を認めたうえで、次に変える行動を具体的に伝えることが、本当の成長支援です。
経営者が陥りやすい「褒め方」の3つの間違い
第一の間違いは、人にラベルを貼ることです。「あなたは天才だ」「営業向きではない」「リーダータイプではない」といった言葉は、本人の可能性を固定します。能力を評価するときは、人格ではなく、実際に発揮された強みや行動を伝えることが重要です。
第二の間違いは、結果が出たときだけ褒めることです。売上や契約数だけを評価すると、情報共有、後輩育成、改善提案など、将来の成果を生む行動が見過ごされます。結果だけでなく、結果を生み出した準備と貢献にも光を当てる必要があります。
第三の間違いは、褒めることで関係性を保とうとすることです。改善すべき点を伝えず、表面的な承認だけを繰り返すと、本人は成長の機会を失います。人を大切にすることと、基準を曖昧にすることは違います。
成長マインドセットを育てる「承認の5ステップ」
1.事実を具体的に伝える
「頑張ったね」ではなく、「お客様の話を最後まで聴き、希望に合わせて提案を変えていた」と、実際に観察した行動を伝えます。事実に基づく承認は、本人にも周囲にも再現しやすい基準になります。
2.成果につながった工夫を確認する
リーダーが一方的に評価するだけでなく、「今回は何を工夫したの?」と尋ねます。本人が成功の背景を振り返ることで、無意識に行っていた良い判断を言葉にできます。
3.努力と方法を分けて評価する
費やした時間や行動量だけでなく、その方法が目的に合っていたかを確認します。「行動件数を増やしたこと」に加えて、「反応を見ながら説明を修正したこと」を認めるイメージです。
4.失敗を学びに変える
失敗したときは、「誰が悪いか」ではなく、「何が起きたか」「何を学んだか」「次に何を変えるか」を整理します。ただし、同じ失敗を放置するのではなく、期限と次の行動まで決めることが必要です。
5.可能性ではなく成長を見続ける
「あなたならできる」と期待を伝えるだけでなく、以前と比べて何が変わったのかを伝えます。「半年前より、問題を早く相談できるようになった」という言葉は、本人に成長の証拠を示します。
美容室・歯科医院・営業組織で使える褒め方の具体例
美容室であれば、「接客センスがあるね」ではなく、「お客様の表情を見て説明を言い換えた判断が、安心感につながっていた」と伝えます。歯科医院であれば、「説明が上手だね」ではなく、「専門用語を患者様の生活に置き換えて説明していたから、納得して治療を選べた」と具体化します。
営業組織なら、「営業の才能がある」ではなく、「断られた理由を記録し、次の商談で質問の順番を変えたことが成果につながった」と伝えます。IT企業であれば、「優秀なエンジニアだ」ではなく、「エラーを隠さず共有し、原因と再発防止策までまとめた行動がチームを助けた」と評価できます。
人は、具体的に認められた行動を再現しやすくなります。良い褒め方とは、称賛で終わる言葉ではなく、本人と組織に成功の再現方法を残す言葉なのです。
成長マインドセットが根づいた組織の未来
成長マインドセットが根づくと、社員は分からないことを隠すのではなく、早めに質問できるようになります。失敗を能力不足の証明ではなく、方法を見直すための情報として扱えるようになります。
リーダーも、できる人に仕事を集中させるのではなく、一人ひとりの現在地に合わせて挑戦機会を渡せます。若手は先輩の成功を「才能の差」ではなく、学べるプロセスとして捉えられるようになります。
禅には、今の自分を否定せず、目の前の行いを丁寧に積み重ねる姿勢があります。昨日の能力に執着せず、今日の一歩を整える。そんな日常の積み重ねが、社員の可能性を開き、組織の未来を静かに変えていきます。
まとめ|能力を認め、成長につながるプロセスを褒める
能力を褒めるのか、努力を褒めるのか。その答えは、どちらか一方ではありません。能力を強みとして認めながら、努力、戦略、改善、協力、学習といった成長のプロセスを具体的に承認することが大切です。
才能だけを褒めれば、失敗できない人をつくる可能性があります。努力だけを褒めれば、方法を変えない人をつくる可能性があります。しかし、成長につながった行動を認めれば、本人は成功と失敗の両方から学べます。
社員に必要なのは、「あなたは優秀だ」という完成の言葉ではありません。「まだ成長できる。そして、今回のこの行動が、その成長につながっている」という未来を開く言葉です。
よくあるご質問
Q1.能力と努力のどちらを褒めるべきですか?
能力を認めながら、成長につながった努力や戦略を具体的に褒めることが重要です。人格に固定的なラベルを貼らず、どの行動が成果につながったのかを伝えます。
Q2.成長マインドセットとは何ですか?
成長マインドセットとは、能力は適切な努力、学習、戦略の改善、他者からの支援によって伸ばせると考える傾向です。すべての人が同じ能力になるという意味ではありません。
Q3.努力を褒めれば社員は成長しますか?
努力だけを褒めても、必ず成長するわけではありません。努力の方向、選んだ戦略、改善内容、周囲との協力など、成果や学習につながったプロセスを確認する必要があります。
Q4.失敗した社員も褒めるべきですか?
適切に準備し、合理的な挑戦を行い、失敗から学んだ場合は、そのプロセスを認める価値があります。一方、準備不足や同じミスの放置については、原因と改善策を具体的に伝える必要があります。
Q5.褒めても社員が挑戦しないのはなぜですか?
失敗への不安や、挑戦する目的と方法が分からないことが原因として考えられます。言葉による承認だけでなく、小さく挑戦できる仕事、上司の支援、失敗から学べる環境も必要です。
Q6.成長マインドセットは中小企業でも育てられますか?
中小企業や小規模サロンでも育てられます。経営者と現場の距離が近いため、日常の声かけ、会議、面談、評価基準を変えることで、新しい考え方を浸透させやすい面があります。
Q7.組織の褒め方を変えるにはどれくらい時間がかかりますか?
声かけはすぐに変えられますが、組織の習慣として定着させるには継続が必要です。管理職研修、1on1、会議、人事評価で同じ基準を繰り返すことが重要です。
まず、自社の現在地を知ることから始めてみてください
「社員を褒めているのに育たない」「失敗を恐れて挑戦しない」「優秀な人に仕事が集中している」「管理職が部下へ具体的なフィードバックをできない」。こうした問題は、社員の意欲だけでなく、日常の評価や関わり方に原因があるかもしれません。
まずは、自社が結果だけを評価していないか、失敗から学べる状態になっているか、社員の強みと成長を具体的に認められているかを確認してみてください。
診断を通して組織の強みと改善課題を整理し、必要な場合は、経営相談で具体的な改善方法を一緒に考えることもできます。人を変えようとする前に、人が成長したくなる関わり方と環境になっているかを知ることが、最初の一歩です。




